榊原直樹, DC, PhD

アメリカで培われた揺るぎない信念

榊原直樹学長の物語は、1992年に日本の大学を卒業後、すぐに渡米したことから始まります。翌1993年、カイロプラクティックの本場であるアメリカ、ロサンゼルスにあるクリーブランドカイロプラクティック大学の門を叩きました。4年間にわたる専門的な学びを経て、1997年に同大学を卒業。そして、カリフォルニア州のカイロプラクティック州ライセンスを無事取得しました。

その後、2007年までの10年間、ロサンゼルスのカイロプラクティッククリニックで多くの患者さんの健康をサポートしました。この海外での経験は、榊原学長のカイロプラクターとしての土台を築き、揺るぎない信念を育むことになりました。単なる技術の習得に留まらず、本場アメリカで確立された学問としてのカイロプラクティックを深く理解し、その理念を体得していったのです。

カイロプラクターとしての「ワクワク」と「感謝」

長年の海外生活を経て日本に帰国した榊原学長は、名古屋駅前に自身のカイロプラクティック院を開業。現在も第一線で活躍し続けています。カイロプラクターとしてのキャリアはすでに30年以上の歳月が流れており、その人生を振り返ったとき、心から充実し、ワクワクするような楽しさに満ちたものになったと言います。

もしこの道を選んでいなければ、「周囲と同じようにサラリーマンとなり、定年後のことを考えながら、ただ受動的な人生を送っていたかもしれない」と語る榊原学長。だからこそ、カイロプラクティックという仕事に出会えたことへの感謝の念は尽きることがありません。この感謝の気持ちこそが、後に徒手療法大学を設立する原動力となりました。

徒手療法大学設立への熱い想い

「カイロプラクティックが与えてくれた素晴らしい人生を、今度は自分が誰かにプレゼントしたい」。この強い思いが、徒手療法大学の設立へと繋がりました。カイロプラクターとして生きる楽しさややりがいを、より多くの人に知ってほしいという情熱が、学長を突き動かしたのです。

日本に帰国後、多くのカイロプラクターを対象としたセミナーや勉強会を開催する中で、榊原学長は一つの大きな課題に直面します。それは、「日本のカイロプラクター養成学校では、本来のきちんとしたカイロプラクティックが教えられていない」という現状でした。この問題意識から、本物のカイロプラクティックを次世代に伝え、業界全体の水準を高めることこそが、徒手療法大学の最も重要な使命であると学長は考えています。

榊原学長のこれまでの経験と情熱は、徒手療法大学という教育の場で、未来の治療家たちへと受け継がれていくことでしょう。

日本とアメリカでの経験から生まれた強い信念。カイロプラクター・榊原直樹の半生をたどり、人生を変えた「カイロプラクティック」への感謝と、次世代に本物の技術を伝えるために徒手療法大学を設立した熱い想いに迫ります。