【前回までのあらまし】
親の反対を見越し、自力で2年間・600万円の渡米資金を捻出した大学時代。迫り来る渡米の日を前に、必修科目「生命科学」の単位取りこぼしによる「5月卒業」という異例の事態を乗り越え、ついに念願のアメリカへ。しかし、予定より1週間早くロサンゼルスへ飛び立った「根拠のない軽い気持ち」が、波乱の幕開けを引き寄せることになる(第5話)。
アメリカ留学の初日。意気揚々とロサンゼルスに降り立った私を待ち受けていたのは、ネットのない時代ならではの予想外の大トラブルでした。
『あしたのジョー』スタイルで成田へ。出発直前の数十秒

仙台のアパートを引き払ったのは、1992年5月24日(日)の午前中でした。
ロサンゼルス行きのフライトは午後5時発。時間は十分にあります。私は仙台から実家には寄らず、そのまま真っ直ぐ成田空港へ向かうことにしていました。
持ち物は、まるで『あしたのジョー』が肩に担いでいるような「ずた袋」が一つだけ。
午後1時過ぎには成田に到着していたと思います。当時の私は、国内線ですら飛行機に乗ったことがありませんでした。もちろん国際線も、アメリカも、海外に行くこと自体が完全に初めての経験です。全てが初めて尽くし。しかし不思議なことに不安は微塵もなく、これから始まるアメリカでの新生活への妄想が膨らみ、心は圧倒的なワクワク感に支配されていました。
チェックインを済ませて搭乗口で待機していると、出発3時間前にもかかわらず、すでにたくさんの人が集まっていました。当時の日本はバブルの余韻もあり、とても活気に満ちていたのを覚えています。
ふと搭乗口のベンチのそばに公衆電話を見つけました。携帯電話など誰も持っていない時代です。「とりあえず、親に電話しておこう」と思い立ち、実家へダイヤルを回しました。
母親が出て「今からロサンゼルスに行ってくる」と告げると、たいそう驚いていました(当然ですね 笑)。それでも最後に「気を付けて行ってきなさい」と言葉をかけてもらい、それ以上は特に話すこともなく、ほんの数十秒で電話を切りました。
初フライト、そして紙切れ一枚のロサンゼルス大移動
いよいよ搭乗時間。ロサンゼルスまでは約10時間のフライトです。機内はほぼ満席で、日本人が大半を占めていました。今では信じられないかもしれませんが、当時のアメリカは日本と比べて物価が安く、旅行者や駐在員が非常に多かったのです。
初めての長距離フライトはあっという間に過ぎ去り、現地時間5月25日(月)の午前10時、無事にロサンゼルス国際空港(LAX)に到着しました。イミグレーションで学生ビザ(F1)を見せると、すんなりとアメリカに入国完了です。
私の目的地は、ロサンゼルス郊外の「ノースリッジ」という街。しかし、私が持っている手掛かりは、これから住む予定のドミトリー(学生寮)の住所を書き留めた「紙切れ一枚」のみです。今ならスマホでGoogleマップを開き、行き方を一瞬で検索できますが、当時はそんな便利なものはありません。
最初の関門。果たしてどうやってノースリッジのドミトリーまで行けばいいのか。
空港を出たところでウロウロしてみても、手掛かりはゼロ。バスは走っているものの、どの路線に乗ればいいのか、そもそもバスで行けるのか、それともタクシーしか手段がないのか。見知らぬ土地で完全に困り果ててしまいました。
そこで、近くにいたアジア人のおばさんに思い切って声をかけてみました。すると、彼女はノースリッジ方面までの行き方を懇切丁寧に教えてくれたのです。「ドミトリーまでの細かい道はわからないから、まずはバスでノースリッジまで行き、そこからタクシーに乗りなさい」と。
私は言われた番号のバスに乗り込みました。そこから約1時間のドライブ。バスの車窓から流れるロサンゼルスの雄大な風景に興味津々で、ずっと外を眺めていた景色は今でも鮮明に覚えています。
誰もいないキャンパス。アメリカ留学初日のトラブルを決定づけた衝撃の事実
バスを降りた後、たまたま1台のタクシーが停まっていました。住所を見せ、「ここに行きたいんだけど、いくらかかりますか?」と尋ねました。ぼったくられないための予防線です。「20ドルくらいだね」と言われ、タクシーに乗り込みました。
空港を出発してから数時間が経過し、ドミトリー周辺に到着した頃にはすでに午後4時を回っていました。まだ空は明るいものの、なぜか周囲に人の気配がありません。「アメリカ人はあまり外を歩かないのかな?」などと暢気に考えながら、タクシーを降りて5分ほど歩き、ようやくドミトリーを発見しました。
「とにかく事務の人に事情を話して、今日から泊めてもらおう」
そう思いドミトリーの建物に入ってみましたが、ここにも驚くほど人がいません。たまたま通りかかったドミトリーの学生らしき人に事務所の場所を聞き、向かってみると……なんとドアが閉まっているではありませんか。
ガラス越しに事務机は並んでいますが、人っ子一人いません。今日は5月25日の月曜日。間違いなく平日のはずです。
どうして事務室に誰もいないのか?と、先ほど案内してくれた学生に尋ねてみました。すると、彼から衝撃の事実を告げられました。
「今日はメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)で、アメリカは祝日だよ」
キャンパスに人の気配がまったくなかった理由が、ここで完全に腑に落ちました。
さて、困りました。今晩寝る場所がありません。今のようにネットでサクッとホテルを予約して、Uberなどの配車アプリで移動するなんて不可能な時代です。
時刻は午後6時になろうとしています。外はすでに真っ暗。
到着初日、見知らぬ異国の地で、私は完全に「詰んだ」のでした。
(次回へ続く)

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。