【学長コラム】私の原点(8)〜カイロプラクティックを学ぶアメリカ留学。ロサンゼルスの朝日と憧れのゴールドジム〜

【前回のあらまし】

カイロプラクティックを学ぶため、意気揚々と降り立ったアメリカ・ロサンゼルス。しかし、到着初日がまさかの「祝日」だったことで、手配していたはずのドミトリー(学生寮)が閉まっており中に入れないという大トラブルが発生。

異国の地で頼る人もなく、重い荷物を抱えたまま夜のノースリッジを彷徨い歩き、いよいよ「野宿」を覚悟したその時。暗闇の中にポツンと明かりを灯す「ビデオ店」を発見し、そこにいたアジア人女性の店長に窮地を救われる。彼女の厚意で無事にモーテルを確保でき、絶望的な初日の夜をなんとか乗り切ったのだった。

(前回の記事:【学長コラム】私の原点(7)〜過酷すぎるアメリカ留学初日!絶望の夜を救った一人の女性〜

泥のような眠りから覚めると、見知らぬ天井が目に飛び込んできました。数秒遅れて、自分がロサンゼルスのモーテルにいること、そしてカイロプラクティックを学ぶためのアメリカ留学初日が、絶望的なトラブルから始まったことを思い出しました。昨晩、ビデオ店の女性に救われていなければどうなっていたことか。

ベッドから起き上がろうとした瞬間、全身を激しい筋肉痛が襲いました。重いずた袋を担いでノースリッジの暗闇を何時間も彷徨った代償は思いのほか大きく、鍛え上げたはずの身体も異国での極度の緊張感には勝てなかったようです。あの留学2日目の朝に感じた、コントロールの効かない身体の重さは、今でも鮮明に覚えています。

重い身体を引きずりながらカーテンを開けると、カリフォルニアの眩しい朝日が部屋に差し込んできました。昨夜の孤独で暗い恐怖の街が嘘のように、明るくカラッとした空気が広がっています。

「さあ、いよいよ始まるんだ」

24時間ぶりの食事と体に染み渡る安堵感

1990年代のアメリカ留学中、ロサンゼルスのモーテルで笑顔で自分で作ったサンドイッチを食べる若い日本人男性(榊原学長)。ベッドサイドテーブルには、ガソリンスタンドのコンビニで買い込んだ食パン、ハム、チーズのパッケージが並んでいる。窓の外にはヤシの木とカリフォルニアの朝の風景が広がる。

ふと我に返ると、猛烈な空腹感が襲ってきました。思い返せば、昨日機内で食事をとって以来、おそらく24時間以上何も口にしていません。張り詰めていた緊張の糸が解け、安堵感に包まれた途端、胃袋が強烈に自己主張を始めたのです。

とりあえず何かお腹に入れようとモーテルの外に出てみると、目の前のガソリンスタンドに日本のコンビニのような小さな商店が併設されていました。そこで食パンとハム、チーズを買い込み、部屋に戻って即席のサンドイッチを作りました。ただパンに具材を挟んだだけの質素な食事でしたが、あの時食べたサンドイッチの味は、身に染みるほど美味しく感じられました。

いざアメリカでのカイロプラクティック留学の拠点となる学生寮へ

1990年代のアメリカ留学中、ロサンゼルスの大学ドミトリー(学生寮)の2人部屋で、大きなバックパックとダッフルバッグを足元に置いてベッドに座り、安堵の微笑みを浮かべる若い日本人男性(榊原学長)。窓の外には椰子の木とカリフォルニアの朝の風景が広がる。

腹ごしらえを済ませ、モーテルをチェックアウト。気合を入れ直し、本来入るはずだったドミトリー(学生寮)へと向かいます。昨晩、命の恩人であるビデオ店の女性にバスでの行き方を教わっていたおかげで、道に迷うことなくスムーズに到着することができました。

昨日は固く閉ざされていた事務所にも、今日はしっかりと人がいます。事情を話すと、すぐに部屋を用意してくれました。少しでも留学中の生活費を抑えるため、私が選んでいたのは個室ではなく「2人部屋」。広さは20畳ほどで、ベッドが2つに長机が1つ。専用のシャワーとトイレも完備されており、生活するには十分すぎるほどの設備でした。

荷物を降ろし、無事に手続きを終えたとき、ようやく「アメリカでの生活拠点」ができたことに、心の底から深い安堵を覚えました。

憧れの「ゴールドジム」との劇的な出会い

1990年代のアメリカ留学中、ロサンゼルスのヴェニスビーチにある「Gold's Gym」(ゴールドジム)の入り口に立つ若い日本人男性(榊原学長)。彼は白いGold's Gymタンクトップとデニムショーツを着用し、足元にバックパックとずた袋(キャンバスダッフルバッグ)を置いて、興奮した表情で窓から見えるジム内部を指差している。背景にはヤシの木、広い通り、クラシックな90年代のアメリカ車、そして巨大な黄色と黒の「GOLD'S GYM」看板が見え、明るいカリフォルニアの日差しが降り注いでいる。画像左下に日本語のテキストオーバーレイ「【学長コラム】私の原点(8) ロサンゼルスの朝日と憧れのゴールドジム」がある。

部屋で私物を広げて一通り整理を終えた後、私はさっそくドミトリー周辺の散策に出かけました。すると、信じられないものが目に飛び込んできたのです。

「ゴールドジム」の看板でした。

徒歩圏内にゴールドジムを見つけたときのあの胸の鼓動と興奮は、今でも忘れることができません。当時の日本にはもちろんゴールドジムはなく、まともなトレーニングジムすらほぼ皆無の時代です。「本場アメリカのゴールドジムで一度はトレーニングしてみたい」——それは、当時の日本のボディビルダーたちにとって究極の夢でした。

その夢の舞台が、まさか自分の目の前にあるなんて。遠目に看板を見つけた瞬間、私は興奮を抑えきれずに駆け出していました。

息を切らして到着し、すぐに見学させてもらうと、そこにはボディビル雑誌のグラビアでしか見たことのないような最新鋭のマシンがずらりと並んでいました。昨晩の野宿騒動の疲れや筋肉痛は確かに残っていましたが、そんなものは一瞬で吹き飛びました。私はその場で入会を即決したのです。

まさかこんな近所に聖地があるとは思っていなかったため、手ぶらで来てしまっていました。「すぐにでもあのマシンでトレーニングしたい!」という圧倒的な興奮に突き動かされるように、私は筋トレの準備をするため急いでドミトリーへ引き返しました。

言葉の通じないルームメイトと波乱の予感

部屋に戻り、はやる気持ちを抑えながら急いでトレーニング用のTシャツやパンツを引っ張り出していると——ふと、背後に人の気配を感じて振り返りました。

そこには、この部屋のもう一人の住人が立っていました。20代前半とおぼしき、大人しそうなアジア人の青年です。これから寝食を共にする相手ですから、私は興奮冷めやらぬまま、とびきりの笑顔で英語の挨拶を投げかけました。

ところが、彼からはまともな返事が返ってきません。それどころか、簡単な英語でのコミュニケーションすら、ほとんど成立しないのです。

「挨拶もままならないほどの英語力で、よくアメリカに来たな……」と内心驚きつつも、彼もまた私と同じように語学学校に通う留学生なのだろうと、その時は軽く考えていました。

しかし、その後、この物静かなルームメイトとの間に「あるトラブル」が発生することになるとは、当時の私は知る由もありませんでした。

(つづく)

榊原直樹

この記事を書いた人:榊原 直樹

徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)

1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。

名古屋・神戸・札幌のカイロプラクティックスクール|徒手療法大学ではカイロプラクティックを学びたいという将来のカイロプラクターを募集中です。

1990年代のロサンゼルス。バックパックとずた袋を担いだ若い日本人男性(榊原学長)が、眩しい朝日の中、椰子の木が並ぶ通りを歩き、興奮して「GOLD'S GYM」の看板を指差している。上部には「【学長コラム】私の原点(8) カイロプラクティック アメリカ留学」、下部には「ロサンゼルスの朝日と憧れのゴールドジム」のテキストが重畳されている。
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