【学長コラム】私の原点(12)〜アメリカ留学サバイバル。車なしで挑んだ弁当配送アルバイトと意外な結末〜

【前回のあらすじ】

授業料の高い語学学校を辞め、学生ビザを放棄して「違法滞在者」になるという選択をした私は、隣町レシーダにある無料の語学学校へ通い始めました。そこには南米やベトナムからの移民など、たくましく生きる仲間たちが集まっており、彼らとのリアルなコミュニケーションを通じて私の英語力は飛躍的に向上しました。しかし、充実した日々の一方で、持ち込んだ軍資金は確実に減っていき……。

▶︎ 前回の記事:【学長コラム】私の原点(11)〜アメリカ留学サバイバル。ロサンゼルスの無料語学学校とたくましきクラスメイト達〜

アメリカ留学のリアル!お金をかけずに充実したロサンゼルス生活

1990年代のアメリカ留学、ロサンゼルスでのサバイバル生活を描いた3枚組の写真。左はゴールドジムでトレーニングする榊原直樹、中央はアパートで英語を独習する榊原、右は夜のレシーダの無料語学学校での様子。当時のコラム記事をイメージした画像。

アメリカ留学における最大の懸念といえば資金面ですが、当時の私は朝のゴールドジムでのトレーニングで汗を流し、昼間は英語の独習。そして夜6時から9時まではレシーダの無料語学学校に通うという、お金をかけずに非常に充実した毎日を送っていました。

週末に出かけるなど、プライベートでも仲良くする友人も何人かできましたが、見事に全員メキシコ人でした(笑)。毎朝目が覚めるたびに、「今日はいったいどんな経験をするのだろう!」と胸を躍らせる、本当に濃密でエキサイティングな時間でした。

ロサンゼルスのダウンタウンには「リトル東京」と呼ばれるエリアがあります。私が住んでいたノースリッジからは車で40〜50分ほどの距離です。当時の私は車を持っていなかったこともあり、滅多に行くことはありませんでした。「日本食が食べたい」「日本語の本が読みたい」といったホームシック的な欲求が微塵もなく、そもそも興味が湧かなかったのです。ただ、メキシコ人の友人の中に「日本食を食べてみたい」という好奇心旺盛なヤツがいて、たまに彼らの車に乗せてもらって行くことがありました。

日系スーパーの求人欄で見つけたアルバイト

1990年代のロサンゼルス・リトル東京にあったヤオハン日系スーパーマーケット。若い留学生が、日本語のフリーペーパー「日刊サン」の求人欄で「日系企業への弁当配送」のアメリカ留学 アルバイト募集を見つけて驚いている様子。

当時のリトル東京には「ヤオハン」という日系スーパーがありました。一歩足を踏み入れると、そこは完全に日本。言われなければ日本のスーパーマーケットだと錯覚するほどの品揃えです。ある時、そのヤオハンに立ち寄り、ロサンゼルスで発行されている「日刊サン」という日本語のフリーペーパー(もしかしたら今もあるかもしれません)を何気なく手に取りました。そして、パラパラとめくっていた求人欄で、ある興味深いアルバイト広告を見つけたのです。

それは「日系企業への弁当配送」のアルバイトでした。どうやら日本料理のレストランが副業的に行っている事業のようです。私は渡米前、仙台で資金を稼ぐために「給食材料の配達」をしていました。「もしかしたら似たような仕事かもしれない」と直感し、早速問い合わせてみました。

車必須のアルバイト!レンタカーで挑んだ面接なしの初日

ところが、この仕事に就くためには「自前の車」が必要だと言われました。前回のコラムにも書いた通り、当時の私の移動手段は自転車のみ。車はおろか、カリフォルニア州の運転免許すら持っていません(日本からの国際免許証はあったので、車さえあれば運転自体は可能でした)。

普通ならここで諦めるところですが、どうしてもこの仕事が気になった私は、意を決して「働きたいのでお願いします!」と電話口で直談判しました。すると、面接すらなくあっさりと採用。「明日の朝4時に来てください」とだけ言われました。

さて、採用されたはいいものの、必須条件である車がありません。「もう、レンタカーでやるしかない!」と腹をくくり、すぐに車を借りてアルバイト先へと向かいました。

1日のレンタカー代は保険込みで約30ドル(当時のレートで約4000円)。一方、バイトの時給は6.5ドル(約800円)で、朝4時から昼12時までの8時間労働。日給にして52ドル(約6400円)です。赤字にこそならないものの、稼ぎの半分以上がレンタカー代に消えてしまいます。

アルバイトの裏の目的?マイカー格安ゲットの思惑

1990年代のロサンゼルスのフリーウェイ渋滞の中、ストレスフルな表情でお弁当の配達リストとトランシーバーを持つ20代日本人男性(榊原直樹氏)。車内には多数のお弁当が積まれており、「仙台亭特製弁当」「時間厳守」のラベルが見える。アメリカ留学 アルバイトの過酷さを伝える画像。

しかし、私にはある「したたかな思惑」がありました。

「急募でアルバイトを探しているということは、誰かが辞めるからだろう。そして、その人はおそらく日本に帰国するはずだ。だとしたら、帰国前に車を手放したがっているのではないか? うまくいけば、その人から車を譲ってもらえるかもしれない」

当日、現場に行ってみると、そこには私と同年代(20代)の日本人が5人ほど働いていました。そして、事態は私の推測通りに進みます。アルバイトの1人が辞めるため、その後釜を探していたのです。しかも、その人は1週間後に日本へ帰国するというではありませんか。

私が「実は今日、レンタカーで来ているんです」と打ち明けると、「よかったら僕の車、譲りますよ」と、まさに思い描いていた通りの展開に! しかも、「500ドルでいいよ」と言ってくれたのです。いくら中古とはいえ、500ドルは破格中の破格。断る理由などどこにもありません。「買います!」と即答していました。

こうして私は、持ち前の行動力と思い切りの良さで、弁当配送の仕事と同時に、アメリカでの念願の「マイカー」までも手に入れたのでした。

さて、この『日系企業への弁当配送』というアルバイト。皆さんは、注文を受けたお弁当をお昼前にオフィスへ届けるだけの仕事だと思いませんか? しかし、実情はそんな簡単なものではなかったのです……。

気になる続きは、次回へ!

榊原直樹

この記事を書いた人:榊原 直樹

徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)

1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。

名古屋・神戸・札幌のカイロプラクティックスクール|徒手療法大学ではカイロプラクティックを学びたいという将来のカイロプラクターを募集中です。

90年代のロサンゼルス、リトル東京の街角。古いセダンのトランクに「BENTO」の箱を積んだ2人の日本人男性が車の前で握手し、1人がドル札を手にしている。アメリカ留学中のアルバイトで中古車を手に入れた、学長コラム第12回のアイキャッチ画像。
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