アメリカのカイロプラクティック大学に入学して最初に立ちはだかったのは、専門的な「基礎医学」と「英語」の分厚い壁でした。教科書もなく、板書さえしない過酷な授業スタイルにノートは白紙のまま。絶望的な状況の中で私を救ってくれたのは、意外な理由から言葉が完璧に聞き取れた、メキシコ出身の解剖学の恩師でした。本場のD.C.プログラムの厳しいリアルと、異国の地での心温まるエピソードを振り返ります。
ノートが、白紙だった。
講義が終わって、自分のノートを見た。一時間、必死に耳を澄ませていたのに——書けた文字は数行。いや、ゼロのこともあった。
アメリカのカイロプラクティック大学に入学した当初、私が最初にぶつかった壁は「英語」ではなく、「英語で学ぶ基礎医学」という、二重の壁でした。
アメリカのカイロプラクティック大学における基礎医学の全体像
ロサンゼルスのクリーブランド・カイロプラクティック・カレッジでは、生理学、病理学、生化学、免疫学といった基礎医学科目から履修が始まります。日本で理系の学部を出ていたので、内容そのものへの免疫はある程度あったはずでした。しかし、講師の口から飛び出す単語のほとんどは、耳で聞いたことのないものばかり。スペルも分からないから、ノートに書き取ることすらできない。
教科書も板書もない——本場の過酷な授業スタイル
日本の大学との大きな違いは、「指定教科書」が存在しないことでした。あるのは「推奨図書」のみ。しかも、講師によっては板書を一切しない。ひたすら口頭で説明し続けるスタイルで、そうした科目が一気に20以上押し寄せてきます。
入学にはTOEFLのスコアが必要でした。しかしスコアがいくらあっても、この環境についていくのは別次元の話だと、初日から思い知らされました。それでも、スタートは切ってしまっていた。やめるという選択肢は、私の中にありませんでした。
聞き取れた単語の「音」だけをノートに書く——そんなところから始めるしかなかった。図書館で推奨図書を探して予習も試みましたが、20科目全部でそれをやるのは物理的に不可能で、早々に方針を切り替えることになります(その「作戦」については、また別の機会に)。
解剖学の授業だけが「救い」だった理由
そんな毎日の中で、唯一ほっとできる授業がありました。解剖学です。
その先生は、重要なポイントを必ず板書してくれました。口頭で説明するときも、何度も丁寧に繰り返してくれた。そして何より——先生の言葉が、すっと耳に入ってきたのです。
なぜか、分かりますか?
先生はメキシコ出身でした。渡米前、私は無料の語学学校でメキシコ人の友人たちとよく話していた。気づかないうちに、耳が「メキシコ訛りの英語」に慣れていたのです。
恩師ドクター・チャベスから学んだこと
ドクター・チャベス。メキシコでMDを取得し、渡米後にさらにD.C.(ドクター・オブ・カイロプラクティック)の学位も取得した、輝かしい経歴の持ち主でした。
授業が終わると、私は何度も彼のもとへ質問に行きました。幼稚な質問ばかりだったと思います。それでも彼は、いつも笑顔で迎えてくれた。どんな問いにも、真剣に答えてくれた。異国の地で、必死に食らいついていた当時の私に、それがどれほど力を与えてくれたか。今となっては、生涯忘れられない温かい記憶です。
基礎医学の土台が、今の臨床と教育を支えている
今、私は日本で次世代のカイロプラクターを育てる立場にあります。振り返ると、あの基礎医学の土台なしに、今の臨床も、教育も、なかった。壁にぶつかり、もがいた時間が、確かに礎になっている。
臨床の現場で壁を感じているあなたにも、きっと同じことが言えると、私は思っています。

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。