【前回までのあらすじ】
アメリカのカイロプラクティック大学(クリーブランドカイロプラクティックカレッジ)へ留学した私を最初に苦しめたのは「英語の壁」でした。入学当初は必死にクラスメートにノートを借りる日々でしたが、1年半後にはアメリカ人の同級生から「ノートを貸してくれ」と頼まれるまでに成長。そしていよいよ最終学年。白衣をまとうインターンシップが始まり充実した日々を送っていましたが、そこで次なる「大きな壁」にぶつかることになります。
アメリカでのカイロプラクター留学もいよいよ最終盤。英語の壁を乗り越え、学力や実技への自信を深めていた私に、最大の試練が待ち構えていました。
それは、インターンシップにおける「卒業要件」という現実的な壁でした。
カイロプラクターへの道に立ちはだかる「診療数」のノルマ
クリーブランドカイロプラクティックカレッジでは、10学期制のうち最終学年の1年間がインターンシップに充てられます。ここで最も困難なのが、卒業までに一定数の診療件数をこなさなければならないという規定です。
現地アメリカ人のクラスメートたちは、地元の家族や友人を患者として招き、着々と数を稼いでいきます。しかし、私にはロサンゼルスに身寄りがいませんでした。
インターン開始から4か月。クラスメートが続々とノルマを達成する中、私の診療数は必要数のわずか10%にも至っていませんでした。「このままでは卒業できない」という強い焦りが私を突き動かしました。
逆境でのアクション:日系教会への「営業活動」
待っていても患者は増えない。私は意を決して、カレッジから徒歩5分ほどの場所にある日系のキリスト教会を訪ねることにしました。
自分自身は宗教に無関心でしたが、背に腹は代えられません。ロサンゼルスに来てすぐに経験した「お弁当販売の営業」で培った度胸が、思わぬところで役に立ちました。
教会で出会った日本人女性に事情を話すと、「今度の日曜日に来てください」と快く受け入れてくれたのです。これが、私の「卒業サバイバル」の第一歩となりました。
孤独な留学生活で見つけた「心の拠り所」
日曜日の礼拝(サービス)に伺うと、そこには日系人や日本からの駐在員の方々が集まる温かいコミュニティがありました。
礼拝後のランチタイムは、各自が持ち寄った家庭的な日本食が並びます。久しぶりに口にする本物の日本食、そして学外で初めて出会った日本人の方々との交流。勉強と実習に明け暮れ、クラスメート以外に友人がいなかった私にとって、そこは単なる「営業先」を超えた、かけがえのない居場所へと変わっていきました。
毎週日曜日に通い詰め、美味しい食事と会話に癒やされる日々。しかし、本来の目的である「患者数」の問題は依然として深刻なままでした。
決断した「次なる作戦」
教会での出会いは私の心を救ってくれましたが、診療ノルマを達成するにはさらなる策が必要でした。このまま立ち止まっているわけにはいきません。
そこで私は、より確実に、より多くの患者を獲得するための「別の作戦」を実行に移すことにしたのです。この時の経験こそが、卒業後にロサンゼルスでカイロプラクターとして生き抜くための大きな礎となりました。
(次回、その「驚きの作戦」を公開します)

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。