この記事の要旨
「患者さんの期待に応えたい」という想いが強いほど、治療結果に一喜一憂し、メンタルを消耗してしまうことがあります。
本記事では、古代ローマの哲学者エピクテトスの教えを基に、臨床家が陥りやすい「結果への依存」という罠からの脱却法を解説します。
コントロール不可能な「結果」ではなく、自身の手技とプロセスという「行動」に全集中する『内的城塞』の構築こそが、燃え尽きを防ぎ、逆説的に最高のパフォーマンスを引き出す鍵となります。
臨床の現場に立つカイロプラクターや治療家であれば、誰しも多かれ少なかれ「患者さんの期待に応えたい」という強い思いを抱いているはずです。 「先生のおかげで良くなりました」 その言葉は、私たちのモチベーションの源泉であり、カイロプラクターとしての大きな自信へとつながるものです。しかし、光が強ければ影もまた濃くなります。もし、治療結果が思わしくなかった場合、あなたはどう感じるでしょうか?
おそらく、自分の実力不足に落胆し、患者さんの期待を裏切ってしまったという後ろめたさに苛まれるのではないでしょうか。 実はここに、我々治療家のメンタルヘルスを脅かす大きな「罠」が潜んでいます。
治療家のメンタルを蝕む「結果への依存」という罠
古代ローマの哲学者・エピクテトスの教えの一つに「他人の評価(承認欲求)に依存することは、他人の奴隷になることと同義である」という文言があります。 これを我々の臨床に置き換えてみましょう。「患者さんを治して感謝されたい(認められたい)」という欲求が強すぎると、私たちの感情は常に治療結果(=患者さんの反応)によって激しく揺さぶられることになります。
結果が良ければ、天に昇るような優越感。 結果が悪ければ、地を這うような自己否定。 このように一喜一憂することは、治療家のメンタルにとって巨大な負担です。最悪の場合、そのプレッシャーに押し潰され、**燃え尽き症候群(バーンアウト)**に陥り、カイロプラクティックの道そのものを諦めてしまうことさえあります。
エピクテトスは言いました。「自分にコントロールできること(権内)」と「できないこと(権外)」を明確に分けよ、と。 臨床において、私たちの手技、診断の推論、そしてその瞬間の集中力は「コントロールできること」です。しかし、患者さんがどう反応し、主観的にどう感じるかという「結果」は、究極的には他者の領域であり、完全にはコントロールできないものなのです。

健全な心を保つ思考法:「結果」は目標であって、目的ではない
ここで思考を切り替えることが、治療家として長く臨床を続け、健全なメンタルを保つための分水嶺です。誤解を恐れずに言えば、結果はあくまでも「目標」であり、「目的」ではありません。 私たちカイロプラクターの真の目的は、治療結果そのものではなく、最善の治療過程(プロセス)を完遂することにあるべきです。
もちろん、これは「治らなくてもいい」という開き直りではありません。治療以前の基礎医学のアップデート、終わりのない治療技術の修練、これらはプロフェッショナルとして「言わずもがな」の責務です。これら全ての準備を含めた「プロセス」に全集中し、それをやり遂げたのであれば、カイロプラクターとしての責務は十分に果たされているのです。
「今、ここ」に集中する逆説とマインドフルネス
皮肉なことに、結果に一喜一憂している治療家ほど、望むような結果が得られないことがよくあります。なぜなら、意識が「未来の結果」や「過去の評価」に飛んでしまい、「今、ここ」にある患者さんの身体に集中できていないからです。
目の前の関節の動き、筋のトーン、患者さんの呼吸。本来ならそこに注がれるべきリソースが、「治らなかったらどうしよう」「良い顔をされたい」という不安や雑念に奪われてしまっています。 一方で、治療プロセスに真に集中できているカイロプラクターは、結果に一喜一憂しません。プロセスに全集中している時、私たちは一種の瞑想状態(マインドフルネス)にあり、結果がどうであれ、それを静かに受け入れる心の準備ができあがっているからです。

自分の中に「内的城塞」を築く:治療家のメンタルケアの極意
「内的城塞(インナーシタデル)」という概念があります。これは、外部の状況に左右されない、自分だけの評価基準を持つということです。 「患者さんがどう評価したか」ではなく、「自分は医学的根拠に基づき、誠実に、最善の手技を行ったか」という自分の中の基準(プロセス)で自己を評価するのです。
自己評価、自己承認の基準は、常に自分の中にあり、外にはありません。 これこそが、臨床という荒波の中で心を燃え尽きさせず、長く、高く、この道を歩み続けるための唯一の方法です。結果という「幻」に振り回されることなく、今日行うべき「施術」という現実に、ただ淡々と、そして熱く向き合っていきましょう。

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。