【この記事の要旨】
- 「心の奴隷」になるな:
タイの高僧アーチャン・チャーとブッダの言葉から学ぶ、感情に支配されない「治療家のマインドセット」。 - 臨床における客観力の正体:
正しい診断(Diagnosis)を阻害する最大の敵は、技術不足ではなく、焦りやエゴ(我)という心のノイズにある。 - 瞑想は「技術」である:
なぜ「心の静寂」が治療結果に直結するのか? 学長が25年間実践するヴィパッサナー瞑想と、その臨床的意義について。
徒手療法大学 学長の榊原です。
先日のコラムでお伝えしたミャンマーでのボランティア活動、そしてチャンミ瞑想センターでの時間は、私にとって原点回帰とも言える貴重な経験でした。日本とは違う時間の流れの中で、改めて確信したことがあります。
それは、「優れた技術は、整った心の上にしか成り立たない」ということです。
私は2000年にゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想に出会って以来、25年以上、毎朝晩30分の瞑想を日課としています。ミャンマーのヤンゴンに寄った際も、チャンミ瞑想センターやマハシ瞑想センターで座ってきました。
なぜ、そこまで徹底するのか? それは単なるリラクゼーションのためではありません。私にとって、瞑想とは「治療家のマインドセット」を鍛えるための訓練そのものだからです。
「野生の猿」を手なずける

タイの著名な高僧であるアーチャン・チャーは、人間の心についてこう表現しています。
「訓練されていない心は野生の猿と同じようなものだ。興味を引くものを見つけるとすぐにそれに飛びつく」
また、ブッダもこう言いました。
「心の奴隷ではなく、心の主(あるじ)になりなさい」
私たちは日常生活の中で、常に感情や雑念に振り回されています。「今日の夕飯は何にしようか」「経営はどうだろうか」「あの患者さんは本当に良くなっているだろうか」……。
心に主導権を握られてしまっているとき、つまり「心の奴隷」となり感情に支配されているとき、私たちは物事をありのままに見ることができません。それはすなわち、「客観力」が失われている状態です。
臨床における「客観力」の正体
私たちカイロプラクターや治療家にとって、この「客観力」の欠如は致命的です。治療家としての正しいマインドセットが整っていなければ、どんなに高度な手技も機能しないからです。
もし私の心が「野生の猿」のように騒がしく、焦りや先入観、あるいは「治して感謝されたい」というエゴ(我)に支配されていたらどうなるでしょうか? 指先から伝わる微細な組織の異常や、患者さんが発する言葉の裏にある真意を、正確に捉えることはできません。
臨床における論理は非常にシンプルかつ残酷です。
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客観的に症状をみることができなければ、患者の状態を正しく把握することは不可能です。
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患者の症状を正しくみることができなければ、その背後にある「原因構造」を特定することも不可能です。
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そして、原因構造を特定できなければ、治療で「結果」を出すこともできません。
どんなに解剖学の知識(Science)があっても、どんなに鋭いアジャストメント技術(Art)を持っていても、最初のボタンである「観察(Diagnosis)」が主観や感情で歪んでしまえば、全てが崩れてしまうのです。

指先のノイズを消すために
私が毎朝、静かに座って呼吸を見つめ、体の感覚を観察するのは、この「客観力」を取り戻すためのチューニングです。
瞑想によって心のノイズを静め、フラットな状態(平常心)を作る。そうして初めて、私の手は「診断のための精密機器」となり、私の脳は「冷静な分析を行う科学者」に戻ることができます。これが、私が考える最強の治療家のマインドセットです。
徒手療法大学で学ぶ学生の皆さん、そして未来のカイロプラクターの皆さん。
技術を磨くことはもちろん大切です。最新の医学論文をリサーチすることも不可欠です。しかし、それらを扱う「あなた自身の心(Mind)」が整っていなければ、最高のパフォーマンスは発揮できません。
心の奴隷にならず、心の主となること。 それこそが、治療家として長く、そして誠実に患者さんと向き合い続けるための、土台となる技術なのです。

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。