【この記事の要旨】
本記事では、徒手療法大学学長が「カイロプラクティック」の世界へ足を踏み入れた原点のストーリーをお届けします。学生時代、ボディビルに打ち込む中で芽生えた実践的なスポーツ医学への探求心。そして、偶然手にした雑誌をきっかけに、ボディビルの聖地でありカイロプラクティック発祥の地であるアメリカ・ロサンゼルスへ強烈な憧れを抱くまでの軌跡です。将来、スポーツや徒手療法の道を志す方へ、情熱の赴くままに行動した若き日の衝動と決意のエピソードをご紹介します。
私がカイロプラクティックという世界に足を踏み入れることになった原点。それは、「スポーツ医学」への強い興味からでした。
机上の学問ではなく「スポーツ医学」の実践を求めた学生時代

東北大学に入学し、朝から晩までボディビル三昧の日々を送っていた学生時代。ハードなトレーニングに打ち込む中で、自然とスポーツ医学に関心を抱くようになりました。
しかし、それは決して机上の学問としての興味ではなく、「いかに現場で実践するか」という実学としての関心でした。当時はまだ漠然としていましたが、頭の片隅で「スポーツトレーナーのような仕事ができたら」と思い描いていたのを覚えています。
『月刊ボディビルディング』で知った「カイロプラクティック」という世界
そんなある日、ふと手に取った『月刊ボディビルディング』の誌面で、初めて「カイロプラクティック」という言葉に出会いました。もう40年も昔のことです。
そこには、学生ボディビル大会で全国優勝を果たした方が、単身渡米して「ドクター・オブ・カイロプラクティック(D.C.)」の資格を取得し、ロサンゼルスで活躍しているという自叙伝のような手記が掲載されていました。
それが、私とカイロプラクティックの最初の接点です。とはいえ、その手記を読んで「すぐにカイロプラクターになろう!」と決心したわけではありません。「世の中には、そんな世界もあるのか」という、少し興味を惹かれた程度の軽い気持ちでした。
ロサンゼルスへの憧れと、動き出したアメリカへの道

しかし、大学3年生になり、いよいよ卒業後の進路や就職を現実的に意識し始めた頃、2年前に読んだあの手記が鮮明に脳裏に蘇ってきたのです。
当時の私にとって、ボディビルのメッカといえば南カリフォルニアのロサンゼルス。そこには強い憧れがありました。そして、カイロプラクティックの発祥の地もまた、アメリカです。
私の中で「ボディビル」と「カイロプラクティック」、この2つの強烈な興味が、アメリカという舞台で見事に線でつながった瞬間でした。
「もう、アメリカに行くしかない」
そう気づいた大学3年生の私は、いてもたってもいられなくなりました。沸き上がる衝動を抑えきれず、退学してすぐにでも海を渡ろうと試みたほどです。結果的にその無謀な計画は頓挫してしまいましたが、その代わり、私には卒業して渡米するまでの「2年間」という準備期間が与えられました。
そこからは、渡米資金を貯めるために朝から晩まで働き詰めの毎日です。当時、学生でありながら月に30万円は稼いでいたと思います。すべては、あの憧れの地、ロサンゼルスへ飛ぶために——。
(明日に続く)

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。