【学長コラム】私の原点(10)〜まさかの訪問者!ドアの前に立っていた後輩と、渡米6週目の大きな決断〜

ロサンゼルスでのドミトリー(学生寮)生活がスタートし、近くにあったボディビルダーの聖地「ゴールドジム」に即入会。破格の安さと最新鋭のマシン、そしてバケツサイズの特大プロテインに大興奮し、本場の筋トレに没頭する日々が始まった。
一方、深夜に騒ぐ非常識なルームメイトを英語で一喝したところ、相手が荷物ごと逃げ出してしまい、結果的に広い2人部屋を1人で独占することに。朝晩のジムと日中の英語学習という新しい生活ルーティンにもすっかり慣れてきたある日。一人で勉強している部屋のドアを突然ノックする音が響く。新たなルームメイトの登場かと思いきや、ドアを開けた先に立っていたのは、まったく予想だにしない人物だった——。

▶︎ 前回の記事:【学長コラム】私の原点(9)〜カイロプラクティックを学ぶアメリカ留学。本場のゴールドジム体験と深夜のルームメイトトラブル〜

ロサンゼルスに来て早くも5週間が経過していた。

当時の私のトッププライオリティは、筋トレと英語の勉強だった。特に英語についてはリスニングを上達させることに集中しており、そのためのあらゆる手段を講じていた(詳細についてはまた別の機会にお話ししたいと思う)。

いつものように部屋で英語の勉強をしていた時のことだ。突然、ドアを叩く音が部屋に響いた。

前回もお話ししたが、私が使っていたのは本来2人部屋のドミトリーだ。ルームメイトが逃げ出して以来1人で悠々と使っていたわけだが、「いよいよ新たなルームメイトがやってきたか」と私は観念した。

しかし、重い腰を上げてドアを開けた時、そこに立っていたのは私の想像をはるかに超える人物だった。なんと、東北大学時代のボディビル部の1年後輩、岡田だったのだ。

ドアの前に立つ彼の顔を見たとき、私はしばらく状況が把握できず、何も言葉を発することができなかった。人間というものは、想像をはるかに超える事態が目の前で起こると、本当に声が出なくなるのだとこの時実体験した。

しばらくの間、お互いの顔を見つめ合っていたと思う。静寂を破った岡田の第一声はこうだった。

「先輩、仙台もずいぶん暑くなりましたねえ(笑)」

彼独特のジョークだった。私は我に返り、「なんでこんなところにいるんだ!?」と叫ぶように聞いた。すると岡田は、「卒業までの単位が全部とれたんで、遊びに来ました」とあっけらかんと答えた。

とりあえず彼を部屋に招き入れた。5月に大学のトレーニング室で会って以来なので懐かしさこそなかったが、アメリカに来てからというもの日本人には誰にも会っておらず、日本語を話すこともなかった私にとって、彼の来訪は張り詰めていたアメリカ生活の緊張感を大きく解きほぐしてくれた。

恐るべき後輩のサバイバル能力

アメリカ留学中のドミトリー(学生寮)のドアを開けた、筋肉質の日本人男性留学生。廊下に立つのは、バックパックを背負った笑顔の友人、岡田。岡田は、複雑なバス乗り継ぎ経路図と、住所の手がかりとなった日本のエアメール封筒を見せて、困難な旅を経ての予期せぬ再会を喜んでいる。画像には1993年のバス経路図と高速道路を走るRTDバスのインセットがあり、タイトル「岡田の驚異的サバイバル!」が示されている。

まず気になったのは、彼がどのようにして広いロサンゼルスで私の居場所を突き止めたのか、ということだった。日本を出る際、私はボディビル部の連中には「アメリカへ行く」としか伝えておらず、詳細な住所などは話していなかったからだ。

聞けば、私が同輩の門馬に出したエアメールの住所を頼りに、はるばるここまでやってきたのだという。さらに驚いたのはその移動手段だ。ロサンゼルス空港からどうやって来たのか尋ねると、「バスに乗ってきました」と事もなげに言うのだ。

タクシーを使わずにバスを乗り継いでここまで来たという話を聞き、私は岡田のサバイバル能力の高さに心底感心した。当時のロサンゼルスで、英語もろくに通じないままバスを乗り継いで目的地にたどり着くのがいかに難易度が高いか、私自身が身をもって知っていたからだ。

『こいつは日本ではなく海外向きだな』

私は直感的にそう思った(事実、彼はのちに日本で就職するものの、すぐに退職して海外へ飛び出していくことになる)。彼に今後の予定を聞くと、しばらくロサンゼルスに滞在した後、南米へ向かうとのことだった。

節約のための引っ越しと渡米6週目の衝撃的な決断

ロサンゼルスの閑静な住宅街で、笑顔の日本人男性2人が段ボール箱を運んでいる様子。背景にはパームツリー、スペイン風建築、そして「OAKHURST DR」と書かれた青いストリートサインが見える。

ちょうどルームメイトがいなくなってベッドが一つ空いていたため、岡田はしばらく私の部屋に泊まることになった。

実は、私はその1週間後にドミトリーを出る決断をしていた。近所のアメリカ人の一軒家の一部屋を間借りすることにしたのだ。ドミトリーは朝晩の2食付きで便利なのだが、いかんせん家賃が高かった。6週間で15万円。一方、新しい下宿先は月額5万円で済む。

当時のアメリカでは留学生が日本のように気軽にアルバイトをすることができなかったため、とにかく節約し、限られた軍資金を減らさないことが最優先事項だった。

岡田に引っ越しの話をすると、快く手伝ってくれることになった。もちろん引っ越し業者など頼む余裕はない。レンタカーを借りて、二人で自力で荷物を運んだ。そして私の引っ越しが完了したタイミングを見計らうように、岡田は南米へと旅立っていった。わずか1週間ほどの滞在だったが、私にとっては最高の気晴らしになった。

そして、ドミトリーを出るこのタイミングで、私はもう一つの大きな決断を下した。

通っていた英語学校を辞めたのだ。一番の理由はやはり「授業料の高さ」だった。しかし、外国人がアメリカで学生ビザ(F-1ビザ)を維持するためには、学校に在籍し続ける必要がある。当時の私もそのルールは当然知っていた。だが、手持ちのお金が目減りしていく恐怖と不安の方が遥かに勝り、見て見ぬふりをしてしまったのだ。

ビザを失う恐怖よりも、資金が底をつく恐怖が勝った瞬間だった。渡米わずか6週目、私はついに「違法滞在者」となった。

だが、立ち止まっている暇はない。英語の勉強を続けるため、私は次なる手を探した。そして、ノースリッジの隣町「レシーダ(Reseda)」にあるという無料の英語学校の噂を耳にする。果たして、ビザを放棄した違法滞在者が、無事にその学校へ通うことができるのだろうか?

(続く)

榊原直樹

この記事を書いた人:榊原 直樹

徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)

1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。

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アメリカ留学トラブルの連続の中、ロサンゼルスのドミトリー(学生寮)のドアを開け、予想外の訪問者である大学の後輩の姿に驚愕する日本人留学生。
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