【学長コラム】 私の原点(17) ギャンブルと人生の共通点。ロサンゼルスで掴んだ「行動と経験」の価値

【前回のあらすじ】

前回のコラムでは、ラスベガスのカジノでの体験を通じて、ギャンブルと人生の双方に存在する「ツキの流れ」について触れた。10時間ぶっ通しでブラックジャックのテーブルに座り続け、波を定点観測する検証実験を実施。「波が引いている時はじっと耐え、波が来た瞬間に大きく勝負に出る」という鉄則を文字通り肌で学んだ。しかし不思議なことに、この極限の集中を伴う熱狂的な体験が、結果的に私の人生における「最後のギャンブル」となる。今回は、その理由と、ロサンゼルスでのその後の展開についてお話しする。

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【学長コラム】 私の原点(16) ギャンブルと人生の共通点。10時間のブラックジャックで学んだ「ツキの流れ」

ラスベガスでのあの熱狂的な検証実験から、すでに数か月が経過していた。

当時の私は、ロサンゼルスで早朝から昼過ぎまで弁当配達の仕事をし、その後はゴールドジムでのトレーニングで汗を流す。そして英語の独習に加え、無料の語学学校でメキシコ人たちとコミュニケーションを取るという、なんとも充実した毎日を過ごしていた。

私が渡米した最大の目的は、当時のネットのない日本では入手困難だったカイロプラクティック大学の情報をリサーチし、自ら入学してカイロプラクターとしての一歩を踏み出すことだった。
しかし、皮肉なことに、日々の生活があまりにも充実していたためか、私の中からは焦りが完全に消え去っていた。
「このまましばらく、この生活を続けるのも悪くはないな」
そんな風にすら考え始めていたのだ。いわば、人生の波が完全に「凪」の状態に入っていた時期である。

そんなある日のこと。弁当配達をしている道中で、ふと一つの看板が目に飛び込んできた。
「Yamada chiropractic clinic」
そこには英語でそう書かれていた。

その看板を見た瞬間、私はハッと我に返った。自分が何のために日本から海を渡ってきたのか、本来の目的を強烈に思い出したのだ。
「ここは日本人のカイロプラクティックドクターのクリニックに違いない。もしかしたら弁当を買ってくれるかもしれない」
私は躊躇することなく、そのクリニックのドアを開けて中に入ってみた。

カイロプラクティックと鍼灸クリニックの静かな待合室で、「Bento Delivery」と書かれたリュックを背負った若い男性がドクター山田(白衣を着た年配の男性)にお弁当を差し出しています。ドクターは右手を firme に上げ、冷ややかな視線で若者を拒絶しています。ドクターは左手にすでに自分の昼食らしきサンドイッチの容器を持っています。背景の受付デスクでは年配の女性が一部始終を見守り、時計は12時過ぎを指しています。壁の看板には「Chiropractic Acupuncture Clinic(カイロプラクティック 鍼灸クリニック)」と日本語と英語で書かれています。

時刻はお昼の12時を回ったところ。待合室に患者の姿はなかった。受付の人に事情を話すと、すぐに奥からドクター・ヤマダが姿を現した。
「やはり日本人だ!」
そう思い挨拶をしたのだが、彼は日本語がほとんど話せない日系3世だったのだ。私が弁当の営業を始めると、彼は「今日はもう昼ご飯を用意してきているからいらない」と、押し売りを追い払うような冷ややかな態度を見せた。

普通の営業なら、ここで引き下がるだろう。明らかに波は引いている。しかし、私はここで食い下がった。ラスベガスで学んだ「耐え忍ぶべき時にじっと耐え、勝負どころで確実に前に出る」という鉄則が、無意識に私を突き動かしたのかもしれない。

「私は、カイロプラクターになるために日本からやって来たんです」

まっすぐにそう伝えた瞬間だった。ドクター・ヤマダの顔色が一瞬にして変わった。
先ほどの迷惑そうな顔つきとは別人のような満面の笑みを浮かべ、驚いたように身を乗り出して話しかけてきたのだ。
「そうだったのか! ならば、明日弁当を買うから、11時前に来なさい」
こうして、私は新規顧客を獲得した。

しかし、得たものは単なる「弁当の売り上げ」ではなかった。
その後、私はドクター・ヤマダからアメリカのカイロプラクティック事情を事細かに教えてもらうことになる。そして何より、私がカイロプラクティック大学へ入学するために必須だった「現役D.C.(ドクター・オブ・カイロプラクティック)からの推薦状」を彼に書いてもらうことができたのだ。

今振り返れば、彼の一押しがあったからこそ、居心地の良い「凪」の生活から抜け出し、カイロプラクターになるという当初の目的へと再び軌道修正することができた。私がロサンゼルスのクリーブランド・カイロプラクティック・カレッジに入学する、わずか9か月前の出来事である。彼には今でも本当に感謝している。

夕暮れのロサンゼルスの街角で、笑顔の若い日本人男性が「推薦状 Dr. Yamada...」と書かれた文書を手に持っている。背景には「CLEVELAND CHIROPRACTIC COLLEGE」の大きな看板とスパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式の建物があり、その下には「ENTRANCE 9 MONTHS AWAY」と書かれている。左側には「GOLD'S GYM」の看板と「BENTO 弁当」と書かれたトラックが見える。

自らの足で波を引き寄せる「行動と経験」

ここで私が強く実感したのは、「行動し続けること」と「自らの肌で経験すること」の圧倒的な価値だ。
もしあの時、ただ看板を眺めて通り過ぎていたら。あるいは、一度断られた時点で引き下がっていたら。今の私は存在しなかっただろう。頭の中でどれほど完璧な計画を立てていても、自らの足で歩き、未知のドアを開けなければ、現実は1ミリも動かない。

人生においても、日々の臨床の現場においても同じことが言える。大切なのは、知識を頭に詰め込むだけでなく、実際に動き、自らの手で経験し、そこから泥臭く学び取ることだ。失敗や拒絶という痛みを伴う経験すらも、立ち止まらずに行動を続ければ、必ず次の波を掴むための重要な布石となる。

カジノのチップは、いくら積み上げても所詮は金に過ぎない。しかし、人生というテーブルで自分の情熱と行動をベットして得た「経験」は、誰にも奪われることのない一生の財産となる。
あの時のドクター・ヤマダとの出会いは、まさに私が自らの足で波を引き寄せ、行動と経験から学び取ることを決意した「最高のワンプレイ」だったのだ。

榊原直樹

この記事を書いた人:榊原 直樹

徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)

1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。

名古屋・神戸・札幌のカイロプラクティックスクール|徒手療法大学ではカイロプラクティックを学びたいという将来のカイロプラクターを募集中です。

ロサンゼルスの青空の下、弁当配達のバッグを肩にかけた若い日本人男性が、「Yamada Chiropractic Clinic」の看板が掲げられたクリニックのドアを開けている様子
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