ドクター・ヤマダの力強い後押しを受け、重い腰を上げた私は、クリーブランド・カイロプラクティック・カレッジのアドミッションオフィスへ。最大の壁は「日本の大学で取得した単位のアメリカ基準での再評価」だったが、旧友の協力もあって無事に100%認められ、面接もあっけなくクリア。渡米から約1年後の1993年5月、ついに念願の入学許可を手にしたのだった。
前回記事:【学長コラム】私の原点(18) コンフォートゾーンからの脱却とアメリカのカイロプラクティック大学入学への道
いよいよ念願だったアメリカのカイロプラクティック大学への入学を果たした1993年。ロサンゼルスのクリーブランド・カイロプラクティック・カレッジで直面した言語の壁と過酷なカリキュラム、そして波乱に満ちたオリエンテーションでの出来事をお話ししよう。
英語で学ぶ医学への不安と揺るぎない「地力」

クリーブランド・カイロプラクティック・カレッジ(ロサンゼルス)の入学許可を手にしたものの、私の心には一つの大きな懸念が頭をもたげていた。
「果たして自分の英語力で、大学院レベルの医学の講義についていけるのだろうか?」
渡米から早1年。日常会話は全く問題ないレベルに達していたが、英語で医学の専門的な講義を受けた経験など皆無である。不安を抱くのは当然のことだった。しかし、「アメリカのカイロプラクティック大学が私に入学を許可したということは、その能力があると判断したからだ」と捉え直すと、不思議と不安はどこかへ消え去っていた。
もちろん、多くの方々の協力があってこそ辿り着けた場所だ。だが同時に、このアメリカの地で持ち前の行動力を武器に道を切り開いてきたという自負もあった。あの日々がなければ、このプレッシャーを跳ね除けることはできなかっただろう。渡米のもう一つの目的であった、自分自身の「地力」が確実に養われているのを感じていた。
アメリカのカイロプラクティック大学ならではの過酷なカリキュラム
1993年9月1日。弁当配達のアルバイトを8月末で辞め、いよいよカレッジの初日を迎えた。入学式と言っても、日本の大学のような華々しい式典はなく、実質的にはオリエンテーションである。当日集まった新入生はおよそ100名。これが1クラスの全人数だ。
アメリカのカイロプラクティック大学では、この100人が同じカリキュラムで学んでいく。日本の大学のように個々で好きな授業を選択して単位を取得するのではなく、問答無用で全員が時間割通りに履修していく。日本の中学校や高校と全く同じシステムなのだ。
カリキュラムは大きく分けて「基礎医学」「臨床医学」「カイロプラクティックテクニック」の3つ。テクニック以外は、メディカルスクール(医学部)とほぼ同じ内容である。
講義はなんと朝7時にスタートし、午後3時までぶっ通し。月曜から金曜まで毎日6コマの授業が詰め込まれ、3学期制の中で1学期に履修する科目は20を優に超えていた。
アメリカ人でさえ悲鳴を上げる医学の専門科目を、英語での授業経験がゼロの外国人がすんなりクリアできるはずもない。入学直後に待ち受ける壮絶な悪戦苦闘の日々については、また別の機会にじっくりとお話ししたいと思う。
学長の教えとまさかの英語での自己紹介

話をオリエンテーションに戻そう。
大学で一番広い講堂に総勢100名が集められ、粛々と進行していく中、最後に学長であるドクター・クリーブランド三世が壇上に立った。ユダヤ系アメリカ人である彼の挨拶は、今でも私の記憶に鮮明に残っている。
「カイロプラクターとして成功するためには、知識や技術だけでは足りない。自分がいかに優秀なカイロプラクターであるかを世間に知ってもらう必要がある。世間に自分を上手にアピールできなければ、患者は来ず、ビジネスとしては成立しないのだ」
臨床家としての腕だけでなく、マーケティングや自己アピールの重要性を説くその言葉に、当時の私は「なるほどなあ」と深く頷いていた。
しかし、彼の話が一段落した直後、事態は急変する。
「ではこれから、あなたたち一人ひとり、その場で立ち上がって簡単に自己紹介してほしい」
内心「まじかよ!」と叫んだ。とはいえ、先述の通り日常会話レベルの英語には自信がある(ただし、メキシカンなまりの英語だが)。渡米してから初めて経験することばかりだが、まさか100名のアメリカ人を前に英語で自己紹介する日が来るとは!
教室の右端から、一人30秒程度の自己紹介がスタートした。そして、ついに私の順番が回ってきた。私は立ち上がり、フルネーム、日本から来たこと、そして東北大学では動物遺伝子学の研究をしていたことなどを、広い講堂の隅々まで響き渡るよう、腹の底から声を絞り出して英語でスピーチした。
――そう、ゴリゴリのメキシカンなまりの英語で(笑)。
今思えば、クラスメイトたちは「なぜこの日本人はメキシカンなまりの英語を堂々と喋っているんだ?」と怪訝に思っていたに違いない。
度肝を抜かれた「あの出来事」
およそ1時間かけ、ついに新入生100名全員の自己紹介が終わった。
しかし、本当の衝撃はその直後に待っていた。いまだに私の脳裏に強烈に焼き付いている、度肝を抜かれるような出来事が起こったのだ。
果たして何が起きたのか?その真相は、次回のお楽しみということで。

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。