▼ 前回のあらすじ
カイロプラクティック大学留学体験談の前回は、クリーブランドカイロプラクティックカレッジでの日々を振り返った。入学直後、英語の壁に阻まれ、毎日のようにクラスメートのノートを借り続けた私。しかし1年半後、今度はアメリカ人のクラスメートが私のノートを借りに来る——立場は完全に逆転していた。
そして最終学年のインターンシップが始まり、白衣をまとってキャンパスを歩くようになったある日、カフェテリアでドクター・クリーブランド三世と2年ぶりに再会した。彼はまっすぐこちらへ歩み寄り、口を開いた。その言葉は、私の予想を完全に裏切るものだった——。
これは、アメリカのカイロプラクティック大学への留学体験談である。病理学の講義が終わり、10分間の休憩に入った直後のことだった。書き損じた箇所をノートに書き直していると、一人のクラスメートが近づいてきた。
「昨日の神経解剖学のノート、コピーさせてもらえないか?」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わず手を止めた。つい1年前まで、毎日のように頭を下げてクラスメートのノートを借り続けていたのは、ほかでもない私自身だった。それが今、立場は完全に逆転していた。
アメリカのカイロプラクティック大学で直面した英語の壁
思い返せば、クリーブランドカイロプラクティックカレッジに入学して最初に受けた生化学の講義から、私は早くも壁にぶち当たっていた。講師の言葉はまるで聞き取れず、当然ノートなど取れない。教科書もない中で、唯一の命綱はクラスメートのノートだけだった。それがなければ、中間試験も期末試験の準備さえままならない。恥を忍んで、毎日のように「コピーさせてくれないか」と頭を下げ続けた。
——いったい、いつになれば自分でノートが取れるようになるのだろう。
そんな自問を繰り返しながら歯を食いしばった日々から、1年半が過ぎていた。
そして今、アメリカ人のクラスメートが、外国人である私のノートを借りに来ている。
その瞬間、私の胸の中でガッツポーズが弾けた。こんな日が来るとは、入学当初には夢にも思っていなかった。私は笑顔で、迷わず自分のノートを彼に手渡した。
あの入学直後の自分が見たら、驚いて目を丸くしたことだろう。留学とは、こういうことか——そんな感慨が、じわりと胸に広がった。
こうして、もがき続けた日々はいつしか自信へと変わり、学生生活は新たなステージへと移っていった。
カイロプラクティック大学のインターンシップ——白衣をまとう日々
クリーブランドカイロプラクティックカレッジでは、8学期目——すなわち最終学年に入ると、1年間のインターンシップが始まる。インターン生には白衣の着用が義務付けられ、キャンパスを歩けば一目でそれとわかった。
ある日、白衣姿で大学のカフェテリアに立ち寄り、遅めの昼食をとっていた時のことだ。
ふと顔を上げると、見覚えのある人物が入口に姿を現した。入学式のオリエンテーションで挨拶を交わした、ドクター・クリーブランド三世だった。普段は講義に立つことのない彼と顔を合わせるのは、あの日以来——おそらく、2年ぶりのことだった。
2年前と変わらぬ、くりくりとした目とちょび髭。一瞬、視線が交わったと思った次の瞬間、彼はまっすぐこちらへ歩いてきた。
「確かあなたの名前は……」
私は心の中で『まさか覚えているわけないよね』とつぶやいた。その瞬間——「あなたはDr. Naoki Sakakibaraだよね?」。彼は私のフルネームを、完全に覚えていたのだ。
これには、本当に驚愕した。2年前のオリエンテーションで新入生100名の名前を誰一人間違わずに言い当てたときも衝撃だったが、今回はそれ以上だった。なぜなら、あれから2年の歳月が経過している。しかも、ドクター・クリーブランド三世とは、あれ以来一度も言葉を交わしていなかったのだ。記憶術というものは、たいていの場合、短期記憶の域を出ない。しかし彼は、2年の時を隔てた今もなお、私の名前を——しかもフルネームで——完全に覚えていた。
驚きを隠せないまま「私の名前をまだ覚えていてくれたんですね」と返すと、彼は「当たり前じゃないか!」と答えた。私はただただ「Amazing!」と言うしかなかった。
カイロプラクティック大学留学生が直面した卒業の壁
そんな忘れられない再会から、インターンシップの日々はさらに充実していった。しかし、その一方で、私にはひとつの重大な問題があった。
アメリカのカイロプラクティック大学は10学期制で、卒業には一定数の診療件数をこなす必要があった。家族も患者数としてカウントされるため、アメリカ人のクラスメートたちは家族に協力してもらって数を稼いでいた。しかし私の場合、ここロサンゼルスには家族がいない。友人もカイロプラクティック大学のクラスメート以外はほとんどおらず、なかなか患者数が伸びなかった。
9学期が終わるころ、ほとんどのクラスメートはすでに卒業要件の診療数をこなしていた。しかし私は、大きく後れを取っていた。
このままでは卒業できないかもしれない——そう思い、指導教官にそのことを話すと、先生は喜んで私の患者になってくれた。しかしそれだけでは、到底ノルマをこなせない。そこで私は、ある作戦に出た。後々、このときの経験が、卒業後にカイロプラクターとしてロサンゼルスでサバイブしていく上での、大きな礎となったのだった。
——続きはまた次回に。

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。