【学長コラム】私の原点(3)〜ネットなき時代の情報戦。アメリカ留学で試された「地力」と執念のビザ取得〜

【前回までのあらまし】

東北大学でのボディビルとの出会いから、「実践的なスポーツ医学」を志す中でカイロプラクティックの世界を知った私。アメリカ・ロサンゼルスへの強烈な衝動に突き動かされ、大学卒業までの2年間、すべてを投げ打って留学資金作りに奔走しました。

朝2時の魚市場、4トントラックのハンドル、そして独自の戦略で挑んだ家庭教師。目標の「月収30万円」を稼ぎ出した過酷な日々は、憧れの地・南カリフォルニアへと続く唯一の道でした。(前回の記事はこちら

【この記事の要旨】

今回はシリーズ第3弾。莫大な資金を貯めた私が次に直面した「情報の壁」についてお届けします。

1990年当時、インターネットも留学エージェントも一般的ではありませんでした。アメリカのカイロプラクティック大学に関する情報は皆無に等しい状態。そんな中で私が選んだのは、他人に頼るのではなく、自らの手で情報を掴み取る「地力(じりき)」を磨く道でした。

エアメール一通に一喜一憂し、辞書を片手に孤独な準備を進めた日々。なぜアメリカ留学において、この「準備のプロセス」こそが治療家としての真の修行の始まりだと言い切れるのか。その哲学と、自力でビザを勝ち取った執念のリサーチ術を紐解きます。

検索窓のない世界での「賭け」

前回お話しした通り、私は大学生活の後半を「執念のアルバイト」に捧げていました。しかし、軍資金が貯まっても、それだけではアメリカの土を踏むことはできません。次に立ちはだかったのは、現代では想像もつかない「情報の壁」でした。

第1話で触れたように、私が「カイロプラクティック」という言葉に出会ったのは雑誌『月刊ボディビルディング』の記事でした。そこから2年。私の興味はボディビルからスポーツ医学へ、そしてその実践の極致としての「カイロプラクター」や「アスレチックトレーナー」へと波及していました。

しかし、時は1990年。今のように検索窓にキーワードを入れれば無限の回答が返ってくる時代ではありません。アメリカのカイロプラクティック大学に関する情報は、日本国内ではほぼ皆無。周りに相談できる相手も一人もいませんでした。

分かっていたのは「アメリカには、スポーツドクターと呼ばれるカイロプラクターがいるらしい」という、噂に近いわずかな情報だけ。普通ならここで足踏みをするところですが、私は早々に日本での情報収集を諦めました。「こうなったら、現地に行ってから調べればいい」と開き直ったのです。

「地力」こそが、アメリカ留学と治療家の第一歩

アメリカ留学を目指す日本人男性が、デスクでビザ申請書類や教科書と向き合い、将来の姿を思い描いている様子を描いたアニメスタイルのイラスト。

渡米には「学生ビザ(F-1)」が必要です。私は大学4年生になる頃、エージェントを通さず、すべて自分の手でビザを取得する道を探り始めました。出した結論は、「まずはロサンゼルスの語学学校に入学許可をもらい、それでビザを申請する」という極めて現実的なルートでした。

今の時代、留学エージェントに丸投げする人も多いでしょう。しかし、私にはその選択肢はありませんでした。死に物狂いで貯めた大切な資金を代行手数料に消したくなかったのはもちろんですが、何より自らの力で生き抜く「地力(じりき)」を鍛えたかったからです。

もし今、留学や新しいキャリアを考えている人がこの記事を読んでいるなら、あえて厳しいことを言わせてください。「この準備のプロセスこそが、すでにアメリカ留学の本番であり、治療家としての修行である」ということです。

私が提唱している「看板に頼らない生き方」にも通じますが、資格や組織という看板は、最後には自分を守ってはくれません。最後に自分を支えるのは、何もない場所から情報を掴み、道を切り拓いていく「地力」だけです。書類一枚、自分で取り寄せられないような人間が、異国の地でプロのドクターになれるはずがありません。

エアメールが繋いだ、アメリカへの道

日本人の青年がアメリカ留学への夢を抱き、デスクでパスポートとビザ、合格通知書を確認している様子を描いたアニメスタイルのイラスト。

私はロサンゼルスの語学学校へ、エアメールで入学案内を請求しました。手紙を出して、返事が来るまで1ヶ月。中には返信すら来ない学校もありました。ようやく届いた案内から1校を絞り、再びエアメールで願書を送付。並行して、銀行で英語の預金残高証明書を発行してもらい、パスポートを揃えます。

当時はアメリカ領事館での面接が不要だったため、全ての書類を東京へ郵送しました。わざわざ東京へ行く交通費すら惜しかった。それほどまでに、一円の重みが、そして自分の足で立つことの厳しさが身に染めていたのです。

数週間後、手元に戻ってきたパスポートを開くと、そこには鮮やかな「F-1ビザ」のスタンプが押されていました。

「これで、行ける。」

着々と進行する渡米計画。しかしこの時、私はまだ両親に一言もこの計画を話していませんでした。

(次回、いよいよ渡米と両親への告白へ続く)

榊原直樹

この記事を書いた人:榊原 直樹

徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)

1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。

名古屋・神戸・札幌のカイロプラクティックスクール|徒手療法大学ではカイロプラクティックを学びたいという将来のカイロプラクターを募集中です。

1990年、インターネットがない時代に辞書とエアメールでアメリカ留学の準備を進め、自らの地力を磨く若き日の日本人の姿。
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