前回のあらまし
ロサンゼルスのクリーブランド・カイロプラクティック・カレッジに入学した私を最初に襲ったのは、「英語で学ぶ基礎医学」という二重の壁でした。指定教科書もなく、板書もしない講師が20科目以上を口頭で講義するスタイルに、ノートはほぼ白紙のまま。そんな絶望的な日々の中で唯一の救いとなったのが、メキシコ出身のドクター・チャベスによる解剖学の授業でした。渡米前に耳を慣らしていたメキシコ訛りの英語、そして彼の丁寧な板書と温かい指導が、異国の地で必死に食らいついていた私の大きな支えとなりました。
毎日朝7時から午後3時まで。わずか1時間のランチ休憩を挟むだけで、息つく間もなく続く講義とカイロプラクティックの実技クラスに、私は完全に追われていました。
最初に取り組んだのは、日本での受験勉強スタイルの延長でした。各科目でわからない英単語を拾い上げ、ノートの左側に英語、右側に日本語を書き出す。こんなこともあろうかと、日本から分厚い医学英和辞典を持ち込んでいたのです。
しかし、この方法はアメリカの過酷なカイロプラクティック大学では、物理的に持続不可能だと、すぐに判明しました。単語の羅列を作るだけで毎日数時間が消えていき、肝心の「医学的な中身」の理解がまったく追いつかないのです。そこで私は、この戦法を早々に捨てる決断を下しました。
読者の皆さんなら、この絶望的な状況でどうするでしょうか。
私はこの時、「日本語を完全に捨てる」という覚悟を決めました。つまり、英語を英語のまま学ぶのです。「日本語に翻訳する」という工程を挟むことが、かえって理解のスピードを落とし、本質から遠ざけている最大の原因だと気づいたからです。
その日から、ひたすら推薦図書を読む日々が始まりました。自分に課したルールは「英和辞典は使わない」「ノートに書き出さない」「無理に暗記しようとしない」こと。やるべきことは、同じ箇所を幾度となく繰り返し読むことだけです。例えば、理解すべき範囲が100ページあるなら、その100ページを、何度も往復しました。わからない単語にぶつかっても、決して立ち止まらずに読み進めました。
この方法の最大のメリットは、「全体を俯瞰できること」です。何度も読んでいると、重要な単語は幾度となく登場することに気づきます。しかも、使われるシチュエーションが微妙に異なる。最初は全くの暗号にしか見えなかった単語も、さまざまな文脈で何度も出会ううちに、不思議と輪郭が浮かび上がり、その「意味のコア」が感覚的に掴めるようになってくるのです。日本語で適切な訳語は当てられなくても、「それがどういう状態や概念を指しているのか」は説明できる。これこそが、まさに英語を英語のまま学ぶ戦法でした。
このアプローチに変えてから、少しずつですが、授業中の先生の言葉が耳に引っかかるようになり、自分の手でノートが取れるようになってきました。とはいえ、まだ完璧には程遠く、クラスメートのノートを借り続ける日々は、しばらく続いていました。
しかし、この「原書丸呑み」のアプローチ——英語を英語のまま学ぶという実践——に切り替えてからというもの、私の英語力は、目に見えて伸びていきました。日常生活でも日本語で思考することがほぼなくなり、気づけば夢の中でも英語を話している自分がいました。毎日6時間の講義を英語で浴び、それ以外の時間はひたすら英語の専門書に没入する。そんな極端な生活を続けていれば、脳が強制的に書き換えられるのも当然だったのかもしれません。
歯を食いしばって授業に食らいつき、この生活を1年半ほど続けた頃。私の中に明らかなブレイクスルーが訪れました。
講義のノートが、ほぼ完璧に取れるようになっていたのです。先生の話す言葉が一字一句クリアに聞き取れるだけでなく、聞いた内容を頭の中で瞬時に構造化し、要点だけを的確にノートにまとめることができる。毎日のように頭を下げてノートを借りていたクラスメートの力は、もう必要ありませんでした。
暗闇を抜けて、ようやく自分の力でアメリカでの学びのペースを掴み始めた学生生活。しかし、そんな日々のなかで、私の人生において忘れられない「ある出来事」が起こります。それは、いつものように教室で、講義の合間に一息ついていた時のことでした。
(続きは次回のお楽しみ)

この記事を書いた人:榊原 直樹
徒手療法大学 学長 / 米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック (DC) / 医学博士 (PhD)
1998年に米国カリフォルニア州でDCライセンスを取得し、ロサンゼルスで10年間臨床に従事。帰国後、岐阜大学医学部にてスポーツ医学の医学博士号を取得。現在は名古屋駅前での臨床の傍ら、徒手療法大学(名古屋・神戸・札幌)の学長として後進の育成に尽力している。
2000年よりヴィパッサナー瞑想を実践し、毎日の瞑想を日課とする。心身両面からのアプローチを探求し続けている。